Editing Images

INFORMATION

あるイメージのもつ情報が、編集によって変化する(ように感じる)現象について考えてみます。
そしてその現象を手懐けて出版物を作ります。

CREDIT

Edit: Asano Takamasa🥜, Sanda Shu🥜, Tachi Kahoru(GUEST)/ Photograph: Sanda Shu🥜

#2

2021.10.13

Shu Sanda

写真について
今回使用する写真群については、写真を始めた大学時代より撮りためた(撮りっぱなしで放っておかれた)データをピックアップしたものになる。
 
古く起動も怪しいハードディスクから順番にチェックし、「snap」等の名前がついたフォルダを片っ端から開けていく。そういえばここ行ったな、こんなの撮ったながわんさか出てくるわけだが、中には今見てもなかなか悪くないと思える写真が混ざっている。なにかに使えないかとYMPメンバーにデータを共有するにあたっては、古めのデータであることと、元々誰かに見せるというよりかは素振りの側面が強い写真であることを踏まえ、一旦自分の手を離れた実験用の素材として使ってもらうことを希望していた。
 
自分の写真に対して他人に編集、再解釈してもらうことについては、かなり寛容なほうだと思う。ただ観た人が自由にとってくれれば良いという投げっぱなしではなく、ここがこうなっててこう見るようにできているのだけれど、それ自体が美しいたたずまい、在り方を目指している。料理より器の意識が強い。撮る段階で考えるのは構図・明るさ・被写体の素材感と光の向き等、写真を構成する基本的な骨組みの強度やしなやかさで、それらを総合して視覚的な入力に変換していく。意味や感情はなるべく薄く(どうしても混ざるし、エッセンスとして重要)忍ばせ、まずはそれぞれの写真が構造的にタフであること・工夫があることを念頭に撮影を行っている。
 
とはいえ写真の性質上、写っているものと感じるものは切っても切れない関係にあり、さらに複数枚連なることで複雑な意味合いが生まれる。同じ写真を使ったとしても所変われば品変わるで、前述の浅野の記事にもあるように編集の条件によって性格が決定し、そこではじめて物の見方として提示される。やりとりのなかで、どのようなカスタムで組むか考えるのが一番楽しい時間でもある。

#1

2021.09.02

Asano Takamasa

構想
YMPでYMP PUBという出版活動を開始するに際し、メンバーである写真家三田周の長年撮りためたスナップを使って写真集のような出版物を作りたいと話していた。
 
まず、三田に大量の写真が入ったDropboxフォルダを共有してもらい、どのような出版物にするか考える。個々の写真には気づきや思考の視点があるが、並列させると脈絡がない。「大御所写真家からプリント群を渡され、好きに編集してみろと言われた」という編集者だかブックデザイナーだかの話を思い出しながら、どんな切り口にするか考えていた。この時はまだ写真集を作るつもりでいた。
 
色々な視点で写真をセレクトしてテーマを探った。同時に造本の可能性も探りながら考えていると際限がなく、多くのテーマが考えられた。写真のセレクト、シーケンス、レイアウト、テキスト、媒体の仕様(造本など)、などの条件で如何様にも編集できることが楽しく、初めは楽しく写真を仮組みしながらアイディアを出していたが、なかなか走り出すきっかけにたどり着かず行き詰まる。どうしても普遍的なテーマしか発見できなかった。別にそれでもいいのだけど、余計な気負いが邪魔をした。
 
そもそもある一貫性を持たせることに疑問を覚え始める。「このような視点で撮られた作品である」という虚実に説得力を持たせることを使命と思い込んで、悩んでいた。その内、上の条件でイメージが変化してしまうという認知、または現象自体に興味が移る。今思うと写真集のテーマ設定からの逃げなのかもしれないが、この主題は普段グラフィックデザイン業務をする中で関心があったことでもある。
 
この主題(イメージが変容してしまうこと)について考えてみることにした。何かしらの形にして発表したいが、もう媒体は何でもいいと思い始めた。なので出版物にならないかもしれない。できれば本を作りたいと思ってはいるが。1人では心許なかったので在野で写真研究をしている舘かほる氏に声をかけた。

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